生きた証を残すこと

父が旅立って一か月が過ぎたいま、私は生きた証」を残したいと思うようになりました。


■私にとってパステルアートとは

2010年~2021年3月までの私にとって私にとってのパステルアートは「不思議と描いていると癒されるやさしいアート」でした。パステルを削り指につけて白い紙に色を塗りこんでいくといつの間にか自分の世界に入ってしまいます。もちろん、イメーじしたように描けないこともありますが、夢中になっている時間は格別です。心が満たされます。その状態を、「いまここ」「自分を見つめる」「内省」というのかもしれませんね・・・そんなことをぼんやりと考えていました。

 
2021年、4月現在。いまはっきりとわかります。
パステルアート、いえ、創作は私が生きてきた証なんだ、と。

3月に父を亡くし、もうすぐ四十九日の法要があります。私が父の形見分けで選んだのは、若いころによくかけていたサングラスです。少し父の話をしますと、生前、父の趣味はカラオケでした。石原裕次郎の唄をよく歌っていたのを覚えています。お世辞でなく、とても上手でいい声でしたよ。それからDIYもよくしていました。基本、雑なんですけれどね、思いついたままにトンカチでトントンと家族にとって必要なものを作ってくれました。決して自分のために何かを作る人ではありませんでした。父は私のように描くなどの「創作の趣味」は全くなかったので「作品」というものはないのですが、実家にはいたるところに父の残した気遣いや息遣いを感じることができます。
形見であるサングラスや父の写真をみるたびに、私は父の顔や声、匂いを鮮明に思い出します。
「ゆうちゃん、無理せんでいい」
40も過ぎた私にちゃん付けで呼んでいた父。私はいつまでもこどもでした。
「だいじょうぶや」
父の声に励まされます。
傍にいなくても人は思い出とともに、その人の存在を感じることができます。
こうして、父が残してくれた言葉やモノに励まさられる日々を過ごし、私もまた自分が生きた証を残したいと思うようになりました。その証が家族や誰かの慰めになれば、こんな幸せなことはありません。でも私は父とは違って音痴なので歌声を残したくはありません。賃貸なのでDIYもしません。私ができるのは「描く」ことだったり「書く」ことです。これまでに作ってきた作品もこれから作る作品も、私が生きた証。そうして、インストラクターとして、もうひとつできることに気付きました。描き方を伝えることで、みなさんの生きた証作りをしているんだということです。あなたの絵を見た誰か、あなたの絵をもらった誰かがどこかでどこかのタイミングで励まされるってこともあるんですよ。私がそうだったように。

創作は自分を癒し、人を励ますものです。
物語を語るように絵を描きましょう。
そして、あなたの物語を私に聴かせてくださいね。
2021.4.20 
なないろパステル